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第二章 禁断・はぎ香 <2>

お兄さまは、学校のスポーツでは、お母さまに勧められてスケートを選んでいたけれど、どうしてもって、お母さまに頼んで、南のQ市のサッカー少年団にも入っていた。十一歳から十四歳まで、たった三年余りの短い期間だったけれど、その間、お兄さまはトップの位置を誰にも譲らず続けて、弱かったチームはQ市の三強と言われるほどの強いチームになっていた。

細っそりとしていて、優しくて、わたしから見ると、とっても穏かな雰囲気のお兄さまの、どこにそんな激しさがあるのか、分からなかったけれど、得点力で誰にも負けないという攻撃的で勝ち気なところがあるらしかった。三年間、日曜毎に試合のある生活だったけれど、集団競技を嫌うお母さまの心配をよそに、お兄さまの目は、まるでプロの一流選手のように、または自分と闘い続ける個人競技の選手のように、涼しく澄んだ目のままだった。

でも、お兄さまは、十五歳になってすぐの頃、あんなに好きだったサッカーを辞めて、同じQ市にある通信社で、土日だけのアルバイトをするようになった。技芸術予選校三年目だった。予選校で、お兄さまはピアノと声楽を専攻していたけれど、それも、四年目に入る前に終了届けを出してしまって、二年目になるその通信社で、今度は正社員になって本格的に働き始めた。

交代勤務の仕事だったので、D村の家からは離れて、通信社の寮で一人暮らしを始めてしまった。そして、やはりQ市の語学系予選校の夜の部に二年間通って、日本語教師の資格を取り、通信社が設けた教室で、新しく渡来した人たちに教えることもしていた。日本語には世界に共通するヴェガの古語が多く残っていると、お兄さまは以前から、そんな関心の持ち方をしていたので、特別に頑張るということもなく、生活の一部にしてしまっている。忙しいのが大好きなの。

わたしたちは、イマキという姓が示す通り、父方のルーツは西の大陸の高地にあって、四代前、この島に移り住んで帰化し、イマキという姓を名乗るようになった。知らない人は、お母さまも、その顔立ちからイマキの人と思う人が多かったけれど、お母さまは、旧姓をマヤノといって、生粋の、この島の先住民?と言っていいくらい、古くからR県の北東部に住む一族の出なんだそうだ。

お兄さまが働き出したのだから、お母さまは夜の仕事を辞めるかしらと思っていたけれど、まだ続けている。この頃のお母さまは、益々、わたしを見なくなった、という気がする。夕方、出かける時とか、声だけはやさしく、誰も訪ねて来る予定はないから、誰が、どんな人が来ても、絶対にドアを開けてはだめと、子ヤギのママのように念を押して出かける。毎日、しつこくて、正しいけれど、うんざりする。それに、わたしの顔を見て笑顔になることなんて忘れてしまっている。

もう長い間、わたしは、お母さまの疲れた横顔しか見ていない。お兄さまと、そんなにも、人が言うほど似てはいない。以前は、少し年の離れた姉弟のように見る人もいたけれど、この頃では、そんなこともなくなった。確かに、笑わない分だけ、シワは同じ年の人より少なかったけれど、シミやそばかすは同じ年の人より多いと思う。

お母さまが夜に働くことを辞めないのは、わたしを避けていたいからかもしれない。わたしは、もう気がついたときには、嫌われている気がして、わたしも、お母さまが嫌いだった。わたしは、何かあると、お兄さまの後ろに逃げ込んで、お母さまの言うことは何もキカナイ子どもだった。何故だろう。

もう今は、わたしたちとはすっかり生活を別にしているお父さま。お父さまにサンザンぶたれて顔を腫らしたお母さまの、不様で醜い姿を情けなさと嫌悪の入り混じった気持ちで見ていた日々。お母さまには、他に忘れられない人があって、お父さまは悲しくてお母さまをぶった。それまでは、美しいと思ったお母さまを、冷たくて醜い人、見ていたくない人、と思う気持ちが、お母さまを疎ましく思う気持ちとスリカワッタのかもしれない。

そんな、わたしには、お兄さまだけが、頼れる暖かい陽の光りのような存在だった。わたしにとって、光彦は、兄というだけではなく、父であり、母でさえあった。

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